JUGEM IT! from 【産経抄】2月6日 - MSN産経ニュース
【産経抄】2月6日 - MSN産経ニュース今日の「産経抄」
に朝青龍問題にからめて武道のあり方についての記述があった。
前に私が受けた昇段審査の筆記試験の際に「剣道では『礼に始まり、礼に終わる』といわれているが、これについてあなたの考えを述べなさい」という課題が出た。朝青龍の問題はここにあると思っている。このブログを購読されている諸先生に対して極めて僭越と思ったのだが、敢えて書いておきたいと思った。
朝青龍の問題はひとことで言うのならば「礼が無いのであれば、ただの殺し合いにしか過ぎない。」これに尽きる。
相撲も武道のひとつなのであれば、その最高峰を極める大相撲、ましてその頂点にいる横綱は、武道の道を極めた最高峰に立った人であるべきだと信じたい。繰り返しなのだが、武道から礼儀を取ったら、ただの叩き合い、押しあい、投げ合い、そして究極的には殺し合いにしか過ぎないと思う。相手の技量や品格、試合の場に相まみえるそこまでの努力・研鑽、そして相手が(自分の相手として立つという)そこまで積み重ねてきた稽古そのものや、惹いてはその稽古に貢献してきた人々への感謝、そういったことへの尊敬の気持ちがなければ、ただ憎しみの相手としての「対戦相手」でしかない。日本の武道の深みは、そこにあると信じたい。
横綱の強さは、技術だけではない。「心構え」の欠けた強さは番付表の上のもので、だれも尊敬しないのだ。朝青龍の前向きなキャラクターやいたずらっ子のような正確はある部分「愛するべき」人として記憶に残る。でも、彼を真の「プロ」として見る人はいるのだろうか?「プロ」は期待された役柄を自ら演ずることも必要じゃないか?それが「プロ」お金を払う人の期待だから。クライアントの期待は、多様で「強さ」を期待する客もいるが、「相撲=武道」と思うクライアントにとっては、横綱としての役柄をきちんと演ずることも、大事だったのではないだろうか?